Jan 27, 2009
肩書きがついて時の従業員研修
以前勤めていた会社では、職責に到着すると、2週間以内に、従業員研修を受けました。会社の戦略では、ビジネスマナー、PCまで内容の濃い社員研修でした。研修中に目まぐるしくて大変でした。夜にも、様々な課題と格闘していて、飲む暇どころか、家族に連絡するトゥムドハジでした。研修を生かしたことを職場で実践できるように、実際のものとしていきたいと思っていました。最近では、クリアファイルが当たり前のように使用されるようになった。家庭より事業、職場で使用される方がほとんどだ。昨年、転職時に職業安定所の職業訓練の就職活動の基礎知識の講義を受けた。久しぶりに書く履歴書の最初に書く職務経歴書。そして、その書類を採用応募先にメールする、クリアファイルに入れてA4サイズの封筒で郵送することが望ましいと指導を受けた。小さな袋に入っ入れる時代しか知らないので、これもクリアファイルがあってこそ、ビジネスマナーのだ。
東日本大震災で猛威をふるった津波は、過去に東北地方を襲った「貞観(じょうがん)地震」(869年)、「明治三陸地震」(1896年)という二つのタイプの大地震で発生した津波が複合して巨大化したことが佐竹健治・東京大地震研究所教授らの研究チームの調査で分かった。津波を起こした断層の長さは約350キロに及ぶ。5月に開かれる日本地球惑星科学連合大会で発表する。
太平洋プレート(岩板)が沈み込む深部のプレート地震である貞観地震(深さ15?50キロ)では、津波による浸水が海岸から3?4キロ内陸まで達するなど被害が広範囲に及び、約1000人以上が水死したとされる。一方、比較的浅い日本海溝付近のプレート内で起きた明治三陸地震(深さ15キロ以内)では2万人以上が犠牲になった。
研究チームは、これら二つの地震での津波の被害状況などから津波をもたらした原因断層を推測。東日本大震災での海底水圧計などの変化と比べた結果、二つのタイプの地震が合わさった津波だったことが明らかになった。
今回の地震では、三陸沿岸から約40キロ(水深1000メートル)の水圧計が地震発生の6分後から海面の上昇を示し始め、同16分後には振幅が最大3メートルと大津波となった。また、海底も最大で5?6メートル隆起し、津波を起こした断層は長さが岩手?福島沖の約350キロ、幅約200キロで、ずれは最大30メートルに上っていることも分かった。【安味伸一】
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大相撲の八百長疑惑を報じた「週刊現代」の記事を巡り、日本相撲協会側から名誉毀損訴訟を起こされて敗訴した講談社は19日、「裁判で八百長は存在しないと虚偽の主張をされ、賠償金をだまし取られた」として、同協会の北の湖元理事長や元竹縄親方(元幕内春日錦)ら5人について、詐欺容疑で警視庁に告訴状を提出した。
告訴状によると、同誌は2007年2月3日号?17日号で大相撲の八百長疑惑を告発する記事を掲載した。これに対し、同協会側は発行元の講談社などに損害賠償を求める訴訟を起こし、元竹縄親方らが「八百長はない」などと主張。講談社は敗訴し、約740万円の支払いなどを命じる判決が確定したとしている。
同協会は「詳細を確認中で、現時点ではコメントできない」としている。
東日本大震災で妻と次男を失った岩手県陸前高田市の電器店経営、吉田寛さん(33)が、同様に父子家庭となった男性とその子どもたちと悩みを共有して交流を深めようと20日、サークル「父子家庭を支える会(仮称)」を旗揚げする。店と自宅を失い、悲しむ間もなく長男と2人の避難所生活を始めた吉田さん。被災地では同様のケースが多いとみられ、「同じ境遇の父子が集えば安心でき、声も上げやすい」と参加を呼びかけている。【鈴木敦子】
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3月11日、消防団員でもある吉田さんは大きな揺れに見舞われると、すぐに店を出て近所の人に高台への避難を呼び掛けた。近くの自宅前では、母静子さん(73)と妻真紀子さん(33)、青白い顔で真紀子さんにしがみつく次男将寛(まさひろ)君(5)の姿があった。「とりあえず避難しとけよ」。言い残して再び住民の誘導に戻った。
十数分後、突然、背後から津波が押し寄せてきた。胸まで水につかりながら市立高田小学校の2階に逃れた。「死なずに済んだ。家族に会える」。安堵(あんど)感から声を上げて泣いた。
しかし、翌日再会できたのは長男芳広君(9)=高田小4年=だけだった。1週間後、行方不明者を捜索中に自ら真紀子さんの遺体を発見。静子さんの遺体も見つかったが、将寛君は行方不明のままだ。
生きるのに精いっぱいだった避難所生活が少し落ち着いた16日、父子2人で初めて買い物に行き、日帰り温泉に立ち寄った。そこで芳広君がつぶやいた言葉がショックだった。「思い出すから母さんの話はしたくない」
23歳で父が急死して店を継いで以来、仕事に追われ、子育ては妻に任せていた。そんな自分にとって、いざ長男と二人きりになってみると、思い出を語り合うのは難しいかもしれないと感じた。
仕事と家事、子育ての両立に追われる父子家庭への公的支援が少ないとも思った。実際は母子家庭と同様の支援を受けられることが多いが、当事者への周知は徹底されていない。例えば、仮設住宅に優先的に入居できる条件に「母子家庭等」とあるが、そこに「父子家庭」が含まれることを気付かなかった。
そんなとき、市内に住む友人も妻を亡くし、幼い娘との父子家庭になったことを知った。女の子が思春期になったら、男親には話しにくいこともあるだろう。同じ境遇の父子が集えば安心できると考え、サークルの設立を思いついた。まずは口コミで仲間を募る考えだ。
近く仮設店舗を市内に開き、仕事を再開する予定。生活が安定すればサークルのホームページを開設し、全国の父子家庭との交流も計画している。吉田さんは誓う。「俺には『父親だけでも子どもを立派に育てる』という人生の目標ができた。息子と2人、前向きに生きる姿を天国で見てもらいたい。子どもの前で泣いてる姿は見せられねっから」
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